高学歴ワーキングプア (ふるかわ)

「高学歴ワーキングプア」
水月昭道 著
光文社新書 2007年

7年前、大学院博士過程にいた僕は、毎日脅迫にあっている気分だった。ご飯を食べている時間にみんなは研究を進めている。論文を書かないと周りから遅れる。そんなことから、一時期は朝5時には大学に行き研究を進めていた。もちろん夜はまともに寝られない。体調は日々最悪。これは僕だけではなく、周りもそうだった。同期の人々は、情緒不安定になったり、急に大学に来なくなったりした。目に見える体調不良はあまりに当たり前すぎて、大して心配されることもなかった。この本には、そのような大学院の状況が当たり前になってしまった経緯が記されている。

1991年、当時の文部省は大学院重点化の方針を打ち立てた。それに伴い、各大学は大学院を建て、教員は大学院生を増やすことに必死になった。大学がこの大学院重点化に乗ったのには訳がある。ひとつは、少子化の兆しがはっきり見えていたこと、もうひとつは、大学院重点化を行う大学には莫大な予算がついたからだ。おかげで院生数は1985年からの20年で約4倍になった。では増えた院生の行き先は?そんなものはもちろん用意されていない。ということは自動的に、就職先の門は狭くなる一方である。2004年の日本の自殺者割合は0.024%、同じ年の博士課程修了者の死亡•不詳の割合は11.45%だった。これが大学院重点化のもたらしたものだった。

自分は誰かの強い誘いで大学院に行かされた訳ではなかった。とはいえ、その先の暗闇に耐えるのは相当辛かった。論文の本数が勝負の業績レースに身を置くのは、今もさほど変わらず、非常に辛い。おそらく気楽に見られている大学教員業界のことがよくわかる1冊だと思う。大学院進学を考える人や、ゼミなどで大学教員と深い関わりを持つ人にはぜひ読んでほしい。

地震雑感/津波と人間 (ふるかわ)

「地震雑感/津波と人間」
寺田寅彦 著
中公文庫 2011年 (原作は主に大正、昭和初期)

「東北日本の太平洋岸に津波が襲来して、沿岸の小都市村落を片端からなぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。」
「こんなに度々繰り返される自然現象なら、その地方の住民は、相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことができてもよさそうに思われる。これは誰しも思うであろうが、なかなかそうならないのが人間的自然現象である。」
「津波にこりて、はじめは高い所に住居を移しても、時間とともに低い所を求めてまた人口は戻ってくる。」

2011年3月11日、東日本太平洋岸は津波により未曾有の被害を受けた。上のような内容の記事は幾度となく目にした。しかし、上の文は今回の地震を受けて書かれたものというわけではない。実はこれらは、1896年と1933年に起きた東北地方の三陸津波に関して、約80年前に寺田寅彦により書かれたものである。寺田寅彦(1878~1935)は、東京大学の地震学者であり、夏目漱石に学んだ文豪でもある。この本は寺田寅彦の災害に関する随筆集で、記載されている内容や彼の考え方は、上記の通り現在目にするものとほとんど変わらない。彼の考えが相当先を行っていたのか、日本人の考えが80年前から止まっているのかの判断は難しいが、日本はそろそろ本気で、災害に対する考え方を変えなければならない時期に来ていると思う。その理由は、都市化が災害時の被害を大きくするからである。要するに、都市化が進むほど建造物は高くなり、人口が増え、人間にとっての危険物が多く貯蔵されるようになる。これらは全て災害に対する弱点であるため、基本的には都市化とともに、災害に弱くなっていくと考えてよい。そのため毎回の地震の被害経験を生かし、次回にはそれ以上の強さの地震にも堪えられるよう心がけなければならない。とはいえ、今回の地震の教訓も、早く忘れられてしまうかもしれない。今後、地震による被害は拡大すると考えられるが、それに立ち向かう唯一の方法は、効果的な教育だと思う。僕自身が災害教育に携わる者として、身の引き締まる思いの書物だった。

大学キャリアセンターのぶっちゃけ話 (ふるかわ)

「大学キャリアセンターのぶっちゃけ話 知的現場主義の就職活動」
沢田健太 著
ソフトバンク新書 2011年

僕は就職活動に関する本や記事をできるだけ読むようにしている。それは自分自身、まともな社会経験がないし、一般的な就職活動をしたこともないからだ。そんな僕が学生たちの就職支援をしなければいけない。正確には「しなければいけない」ことはないが、したいから行っている。

この本は主に、就職活動という点から見た、大学のキャリアセンター、企業、学生の3者の関係についての解説や持論を展開している。著者は大学のキャリアセンター勤務経験があるので、内容や表現は臨場感があって面白い。僕にとって新しい発見はさほどなかったが、自信の中でもやもやしていた現在の就職活動像を整理することができた。そして改めて、学生はかわいそうだ、ということを感じた。同時に、自分の時は今以上に就職率は悪かったが、それでも今の時代に生まれなくて良かったとも思う。

キャリアセンターも企業も学生も、就職活動の中で嘘をつくし、過剰表現もする。意図的にだましを行うこともある。例えばキャリア支援の専門家のように見える大学職員は、数年に1回の配置換えで偶然そこに配属されているだけだし (数年後にはまた配置換えなので、力を入れない人もいるかもしれない)、大企業の会社説明会で愛想を振りまいて良い雰囲気を作っている人は、その会社の人ではないことも多い (学生はそれだけで、あの雰囲気の良い会社に就職したいと思う場合もある)。また学生の履歴書には多かれ少なかれ過剰な表現や (とはいえ多くの場合、思っている程、過剰でもない)、時によっては嘘が含まれている。悲しいのはこれらの関係の中で、純粋で未熟な学生だけが、横行する嘘やだましを見破ることができない。大人同士は全体のだまし合いを十分理解している。つまり社会全体が学生をだます仕組みのように見える。

これはかわいそうだ、と数年前に思い、僕の授業では様々なだましを見抜く力がつくよう、多くの仕掛けをしてきた。しかし悲しいことに、学生たちはいとも簡単に仕掛けにかからないようすり抜ける。少しでも引っかかってくれたと思える学生は、教師生活を思い出しても片手で十分に足りる。完全に僕の能力不足だと思っている。しかし言い訳をさせてもらうと、学生からの教師の信用が墜ちつつある今、仕掛けはとても難しい。例えば・・・の力がつくから、この課題をやったら?と言う。その課題が強制ではなく任意の場合、経験上9割の学生は躊躇する。躊躇する理由はその課題によって力がつく保証がないから。また面倒だから、という理由もこれに入る。力がつく保証さえあれば多少面倒でも行うだろう。このように、(大学全入時代に伴う?) 教師の価値失墜は、効果的教育の実施の足かせとなっている。特に本大学のような中堅私立大への影響は大きい気がする。ということで、獲物のかからない仕掛けを作る意味がわからなくなってきた。

↓まとめ
学生の学力悪化 → 教師は効果的教育を考える → 学生はそれにのってこない → 教師は効果的教育を考えることをやめる →学生の学力悪化 →・・・

いちばんやさしい地球変動の話 (ふるかわ)

「いちばんやさしい地球変動の話」
巽 好幸
河出書房新社 2011年

題名から察するに、この本は地球科学の入門書だろう。しかも「いちばんやさしい」と宣言しているからには、全く知識がなくても大丈夫そう。ところで僕は一応プロの地球科学者です。プロが入門書なんて読むの?うん読むの。なぜですか?それは授業のネタ集めだね。ネタバレするからみんなは読むんじゃねえぞ。

この本で扱っている内容は大きく3つで、地球の内部構造と地球の歴史、日本の地質についてです。どれも最新の研究成果が反映されていてすばらしい。実は新しい本でも、その段階での本当に最新の内容が含まれることは少ないのですよ。なのでそれだけでも読む価値があります。そして内容も魅力的です。例えば、プレートが動く理由は、主に沈み込んだプレートが、その重みでプレート全体を引きずり込むからなのですが、そのように考えられる理由に触れているところがいい。「プレートはこうやって動いているんだよ」と「こういう現象から、プレートはこう動いていると考えられるよ」の2つでは、後者の方が圧倒的に科学教育的ですよね。こういう教育こそが、疑似科学 (前回のきむブログ参照)に立ち向かうためには重要ですね。もうひとつ内容に関して言わせてもらうと、温泉の起源が詳しく書かれているのがいい。日本でおなじみの温泉は、地下のマグマの熱で水が温められる場合と、地下深くで、海洋プレートから絞り出された水が上昇してくる場合がある。温泉は日本の象徴でもあるので、ぜひ日本人には温泉の起源まで知ってもらいたい。

ということでこの本すばらしいです。ただ、、、めっちゃ難しいです。あれ?タイトルはうそ?正確に言うと、入門書と思ってほぼ知識のない人が読むと、多分ほとんど理解できない。理系大学生か、他のもっと簡単な地球科学入門書を読んだ人で、やっと全て理解できると思う。とはいえ、これだけ高度な内容をここまでわかりやすく書いてある本は他にないのは確実。授業のネタ本なので読んでほしくない一方、これを理解して、地球の面白さを理解してほしい。地球の仕組みがわかってくると人生楽しくなるよ。僕が保証します。

私たちも不登校だった (ふるかわ)

「私たちも不登校だった」
江川紹子 著
文春新書 2001年

日常生活の中では,程度の差はあれ誰もが多種多様な悩みを抱えながら生きていると思う.それによって,普段の暮らしを順調に送ることができず,長期に渡って停滞してしまうことがある.このことは老若男女を問わないけれど,やはり多感な10代20代の若者には多いことだと思う.そのような停滞状況を自らが正確に把握し,乗り切るためには,他者の実体験を参考にすることも必要だと思う.この本は,不登校経験者8人の,不登校になるまで,そしてその後の生き方が書かれている.不登校を扱った本は多いけれど,各自の生き方にスポットを当てたものは珍しいのではないだろうか.

この本の主人公たちの話を読み,不登校となる理由は,いじめや教師,親との意見の食い違いが多いことは理解できるし想像もできる.しかし,ここからは僕の解釈だが,それですぐに不登校につながるわけではない.最終的に不登校への引き金を引くのは,周囲の粗悪なサポート状況ではないだろうか.つまりサポートが受けられない,もしくは不適切なサポートを受ける,ということが不登校の最大の原因ではないかと思う.不適切なサポートとはつまり,状況に適さないアドバイスを与えられることである.これは当人の問題解決に繋がらないどころか,悪化を招くのだろう.結果的にはこの悪化が,停滞を促進し,不登校へと導くのだと思う.そう考えるとサポートにあたる者は誰でも良いわけではない.年が上であれば良いわけでもないし,助けてあげたいという熱意だけがある友人に任せられるものでもない.悪いけどサポートしてくれない方がましだった,ということもあるだろう。

人間誰でも生きていれば,停滞する期間がある.その時に自分をサポートしてくれる人間は必要不可欠だと思う.停滞していない時期に,何かあった時にはこの人は適切なサポートをしてくれるはずだ,という人がひとりでも思いつくのであれば,これほど素晴らしいことはない.教員である僕は,サポートにまわる機会が人より多いと思う.僕はサポートを行う上で最も重要なことは,自らのサポート経験や他人の実体験を見聞きするなど多くのケーススタディを持ち合わせていることだと考えている.その経験から自分の中にひとつのマニュアルを確立するのではなく,勘を養うことこそ重要だと思う.勘によって当人の個性やペースを正確に把握し,それを尊重して,個々にあった対応をしなければいけない.そんなことを改めて感じさせられた本でした.