知の逆転(のりこ)

『知の逆転』

吉成真由美(インタビュー・編)

NHK新書 (2013)

本書は様々な分野の第一線で活躍する専門家とジャーナリストである吉成真由美の対談

を翻訳・編集したものである。

今回の書評では個人的に印象的であったマービン・ミンスキーとの対談を取り上げる

。「なぜ福島にロボットを送れなかったのか」をテーマに対談を行っている。

1989年にアメリカのスリーマイル島で原子力発電所が故障し誰も中に入れないという状

況が発生した。この時彼は、このような人の手が介入できない時に備え人口知能を持った

ロボットの開発を強く訴えた。しかし約30年後の2011年、全く同じことが起こっていた。

なぜ人の代わりとなるロボットは未だ生まれていないのだろうか。その理由は人工知能の

研究者が人間と同じことを行えるロボットの開発ではなく、人間よりも高速で情報を処理

するロボットの開発に重点を置いてきたからである。今のロボットは人間にチェスなど知

能の面では勝てても、人間の行動を十分に代替する段階には至っていないのである。

私はこの本を読み、時に目標を見失ってしまう人間の脆さを感じた。ロボット研究者た

ちは人間とロボットが共存するSFのような壮大な世界を想像し研究を始めのだとうと私は

思う。しかし長年の研究の中でいつのまにか大きな目標は見失い、人間よりも情報処理能

力が高いロボットを作るというこじんまりとした目標に傾注してしまったのではないかと

思った。私は来年から社会人となるが、日々の忙しさに流され初心を忘れるようなことが

ないようにしようと強く思った。

現代語訳 学問のすすめ(よし)

現代語訳 学問のすすめ

2009年ちくまー新書出版

福沢諭吉著 斉藤孝訳

 

「学問のすすめ」とは、福沢諭吉氏が明治五年から九年にかけて発行された全十七編の書物を一つに纏めたものである。「天は人の上に人を造らず」という出だしフレーズは日本人ならほとんどの人が知っている。しかしその先の内容を知っている人は多くはない。わたしもその一人だ。そこで今回現代語訳という形で「学問のすすめの」とは何を書いたものなのかを知るためこの本を手に取った。

 

本書の内容としては明治時代に福沢諭吉が友人へ送った「学問」とは何かを独人考えで説いたものだ。政府や攘夷活動の批判など当時の時代背景が色濃く出ており、読んでいて共感できないことも多々あるかもしれない。しかし要所要所で訳者の斉藤孝氏の説明が注記されているため当時の時代を詳しく知っている人でなくともすらすらと読み進めることができる。後半にあたる第十四編から十七編には、人生設計の技術や判断力の鍛え方などビジネス書などの要素が含まれており、現代でも生かせる技術も数多く書かれていた。

 

私が思うに本書は福沢諭吉氏が考える学問の必要性が書かれている。学問といっても、工学や経営学、会計学など、いわゆる実学と呼ばれるものだ。実学を学ぶことで自分の意識がはっきりとし、経済がうまく回る。そこに人の幸せな生き方があると福沢諭吉氏は語っている。私はこれからたくさんのことを学ぶ多くの学生に幸せな人生の第一歩として本書を読んでもらいたい。

 

古川案

 

この本の背景が必要だと思う。要するに、職業が家柄によって決まるのではなく、能力のある人が職業を選べる時代になったということ。これは、努力で将来を何とかできる、という大事な変化を意味する。

 

「学問のすすめ」とは、福沢諭吉氏が明治五年から九年にかけて発行された全十七編の書物を一つに纏めた<難しいから漢字じゃなくていい。>ものである。「天は人の上に人を造らず」という出だしフレーズは日本人ならほとんどの人が知っている。しかしその先の内容を知っている人は多くはない。わたしもその一人だ。そこで今回現代語訳という形で「学問のすすめの」とは何を書いたものなのかを知るためこの本を手に取った。<最後の文、読みにくいからもう一回考えて>

 

本書の内容としては明治時代に福沢諭吉が友人へ送った「学問」とは何かを独人考えで説いたものだ <「独人考え」って何?>。政府や攘夷活動の批判など当時の時代背景が色濃く出ており、読んでいて共感できないことも多々あるかもしれない。しかし要所要所で訳者の斉藤孝氏の説明が注記されているため当時の時代を詳しく知っている人でなくともすらすらと読み進めることができる <←「、」がないので読みにくい>。後半にあたる第十四編から十七編には、人生設計の技術や判断力の鍛え方などビジネス書などの要素が含まれており <←「など」×2で読みにくい>、現代でも生かせる技術も数多く書かれていた。

 

私が思うに本書は福沢諭吉氏が考える学問の必要性が書かれている <「本書は、・・・が書かれている」ではなく、「本書には、・・・が書かれている」>。学問といっても、工学や経営学、会計学など、いわゆる実学と呼ばれるものだ。実学を学ぶことで自分の意識がはっきりとし、経済がうまく回る。そこに人の幸せな生き方があると福沢諭吉氏は語っている。私はこれからたくさんのことを学ぶ多くの学生に幸せな人生の第一歩として本書を読んでもらいたい

日本人の禁忌(かんとく)

日本人の禁忌 新谷尚紀/青山出版社/2006年

 

禁忌とは「してはいけないこと」で、「夜に爪を切ってはいけない」、「敷居を踏んではいけない」ということもこの禁忌に当たります。この本ではその禁忌について歴史や宗教、民間伝承を通して読み解いています。ではこの禁忌とはどのようにしてうまれたのでしょうか。

近親相姦を例に挙げてみてみます。歴史をさかのぼると、親子間の結婚は別としても、兄妹間の結婚は珍しいことではありませんでした。ではなぜ近親相姦が禁忌となったのか。明確な答えはありませんが、解釈の一つに生物学的な問題があげられます。血族内、近親者同士の結婚では生まれてくる子供に身体的、あるいは精神的な先天性異常が起こる可能性が高く、死亡率も高くなっています。子孫繁栄は人類にとって大切なものであるため、そうした異常が起こる可能性を避けたというのです。

もう一つ死に対する禁忌について例を挙げてみます。これは「忌み避ける」禁忌であり、根底には死に対する恐怖があります。死体は時間経過とともに腐乱し、異臭を放ちます。そこから死を穢れとする観念が生まれ、穢れは見てはならない、触れてはならないものとして、死が禁忌の対象となりました。

現在にも上の二つ以外に「庭に椿を植えてはいけない」「箸から箸へ食べ物を渡してはいけない」というような禁忌が存在します。前者については、椿の花は突然茎から折れて花のみが落ちますが、古代の人はその様子を侍の首切りと重ね合わせました。そのため椿が家の人間に不幸をもたらす力となってしまうと考えたのです。また後者については、葬式で行う骨壺に骨を納める際の作法を連想させ、縁起が悪いとされ禁忌となりました。このように、私たちの周りにはなぜだかわからないけれども、「してはいけない」と昔から言われていることが多く存在するかと思います。しかし、これらは意味のないものではなく、古の人が生物学上、または宗教上においてよくないと思ったため禁忌とされたものです。禁忌とされているものがなぜ禁忌とされているのか、そのことについて調べてみると古代の日本人の価値観や物の味方がわかってくるのではないかと思います。

 

古川案

 

作者がどのような意図で書いた本なのかが読み取りにくい。つまり禁忌を理解することの重要性などがわからないと、読み手は興味が持てない。

 

禁忌<ふりがないるんじゃないか?ふりがなが必要なことは前回も注意してある。>とは「してはいけないこと」で、「夜に爪を切ってはいけない」、「敷居を踏んではいけない」ということもこの禁忌に当たります。この本ではその禁忌について歴史や宗教、民間伝承を通して読み解いています。ではこの禁忌とはどのようにしてうまれたのでしょうか。

近親相姦を例に挙げてみてみます。歴史をさかのぼると、親子間の結婚は別としても、兄妹間の結婚は珍しいことではありませんでした。ではなぜ近親相姦が禁忌となったのか。明確な答えはありませんが、解釈の一つに生物学的な問題があげられます。血族内、近親者同士の結婚では生まれてくる子供に身体的、あるいは精神的な先天性異常が起こる可能性が高く、死亡率も高くなっています。子孫繁栄は人類にとって大切なものであるため、そうした異常が起こる可能性を避けたというのです。

もう一つ死に対する禁忌について例を挙げてみます。これは「忌み避ける」禁忌であり、根底には死に対する恐怖があります。死体は時間経過とともに腐乱し、異臭を放ちます。そこから死を穢れ<←読めませんでした。。。みんなが読めない語にはふりがなを。>とする観念が生まれ、穢れは見てはならない、触れてはならないものとして、死が禁忌の対象となりました。

現在にも上の二つ以外に「庭に椿を植えてはいけない」「箸から箸へ食べ物を渡してはいけない」というような禁忌が存在します。前者については、椿の花は突然茎から折れて花のみが落ちますが、古代の人はその様子を侍の首切りと重ね合わせました。そのため椿が家の人間に不幸をもたらす力となってしまうと考えたのです。また後者については、葬式で行う骨壺に骨を納める際の作法を連想させ、縁起が悪いとされ禁忌となりました。このように、私たちの周りにはなぜだかわからないけれども、「してはいけない」と昔から言われていることが多く存在するかと思います。しかし、これらは意味のないものではなく、古の人が生物学上、または宗教上においてよくないと思ったため禁忌とされたものです。禁忌とされているものがなぜ禁忌とされているのか、そのことについて調べてみると古代の日本人の価値観や物の味方がわかってくるのではないかと思います。

海賊と呼ばれた男(上)(まなちー)

『海賊と呼ばれた男(上)』

百田尚樹、講談社、2012

 

この作品は実話をもとに作られている石油を取り扱うある社長の話です。主人公は国岡鐵蔵、出光興産創業者の出光佐三をモデルとしています。鐵蔵は金儲けをするために仕事をするのではなく消費者により安く、良いものを提供しようと奮闘します。彼が目を付けたのが当時(大正~昭和初期)需要が増え始めた石油(揮発油)です。彼は一から会社を作ったため得意先がいませんでした。そのため販売先を開拓するため他社が既に卸していた地域で販売を試みます。しかし新興店が簡単に卸し先を増やせるはずもなく、時間ばかりが過ぎていきます。業者に油を買ってもらうにはそれなりの良さがなければ買ってもらえません。鐵蔵は考えます。販売方法、油の改良、社員の教育など次々と打開策を生み出していきます。徐々に事業は軌道に乗り、会社は大きくなりました。しかし更なる試練が鐵蔵には待っていました。

私がこの本を読み惹きつけられた点は2つあります。1つは実話をもとに作られているので日本の歴史について勉強できる点です。私は高校のころ世界史を専攻していたので日本史は詳しくありませんでした。2つ目は国岡鐵蔵その人の生き方です。どんなに高い壁にぶつかっても諦めない心、時代の流れを読み先手先手を打つ鐵蔵に私は激動の時代を生きた武士の心を見ました。私は考えることが苦手ですぐに諦めてしまいます。なのでまずは考える材料、日本や世界の歴史を学び今の時代には何が必要なのか考え今後就く仕事に生かしていきたいです。

先生案

「、」を使って読みやすくしよう。

 

この作品は実話をもとに作られている石油を取り扱うある社長の話です。主人公は国岡鐵蔵<てつぞう?一般的に使わない感じの場合はふりがな必要。そして鐵蔵ではなく鐵造?>、出光興産創業者の出光佐三をモデルとしています。鐵蔵は金儲けをするために仕事をするのではなく消費者により安く、良いものを提供しようと奮闘します。彼が目を付けたのは、<←「は」ではなく「が」だと、「が」ばかりで読みにくい>当時(大正~昭和初期)需要が増え始めた石油(揮発油)です。彼は一から会社を作ったため得意先がいませんでした。そこで、<←「そのため」だと、この後に出てくる「ため」と重複する。>販売先を開拓するため他社が既に卸していた地域で販売を試みます。しかし新興店が簡単に卸し先を増やせるはずもなく、時間ばかりが過ぎていきます。業者に油を買ってもらうにはそれなりの良さがなければ買ってもらえません。鐵蔵は考えます。販売方法、油の改良、社員の教育など次々と打開策を生み出していきます。徐々に事業は軌道に乗り、会社は大きくなりました。しかし更なる試練が鐵蔵には待っていました。

私がこの本を読み惹きつけられた点は2つあります。1つは実話をもとに作られているので日本の歴史について勉強できる点です。私は高校のころ世界史を専攻していたので日本史は詳しくありませんでした<「日本史は詳しくない」ということは、主語は「日本史」で述語は「詳しくない」になる。つまり主語は日本史さんですね。なので例えば、「日本史には」がいいかな>。2つ目は国岡鐵蔵その人の生き方です。どんなに高い壁にぶつかっても諦めない心、時代の流れを読み先手先手<←区切りがないので読みにくい。「読み、先手先手」>を打つ鐵蔵に私は激動の時代を生きた武士の心を見ました。私は考えることが苦手ですぐに諦めてしまいます。なのでまずは考える材料、日本や世界の歴史を学び今の時代には何が必要なのか考え今後就く仕事に生かしていきたいです<←点がないので読みにくい>。

魚で始まる世界史(だーまな)

「魚で始まる世界史」

超智 敏之

平凡社新書 2014

西欧の食文化は動物の肉が中心であるというイメージが強いです。しかしそのイメ

ージは18世紀の農業革命後のものです。ではそれ以前の食文化はどうだったのでしょう

か。それ以前西洋の人々は魚中心の食生活でした。本書は世界史における魚特にタラと

ニシンの役割を解説しています。

キリスト教社会において断食は重要な習慣でした。時が経つにつれ極端な断食が戒

められるようになり中世盛期には魚を食べることが許されるようになりました。そのため

中世の半年にも及ぶ断食期間中には巨大な魚の重要がうまれました。魚というのは、常

に同じ場所に同じだけいるわけではありません。魚を大量に確保することは容易なもの

ではありません。そのためにいくつもの国や集団が衰退したと筆者は述べています。

『ヴァイキングのイングランド襲撃の背景にはニシンの回遊コースの変化が関係してい

る。』『ニシンの保存加工技術と優れた輸送手段を確立したために栄え拡大したハンザ。』

など本書では様々な出来事と魚の関係を紹介しています。私の知っている世界史も魚

に注目してみると全く別のストーリーのように感じました。

本書の 7章では古い時代の魚のレシピを紹介しています。中世の食生活を実際に体

験できるのでぜひ本書を読み、料理を作って見ることをおすすめします。

 

古川案

「魚で始まる世界史」

超智 敏之

平凡社新書 2014

西欧の食文化は動物の肉が中心であるというイメージが強いです。しかしそのイメ

ージは18世紀の農業革命後のものです。ではそれ以前の食文化はどうだったのでしょう

か。それ以前西洋の人々は魚中心の食生活でした。本書は世界史における魚特にタラと

ニシンの役割を解説しています。

キリスト教社会において断食は重要な習慣でした。時が経つにつれ極端な断食が戒

められるようになり中世盛期には魚を食べることが許されるようになりました。そのため

中世の半年にも及ぶ断食期間中には巨大な魚の重要がうまれました。魚というのは、常

に同じ場所に同じだけいるわけではありません。魚を大量に確保することは容易なもの

ではありません。そのためにいくつもの国や集団が衰退したと筆者は述べています。

『ヴァイキングのイングランド襲撃の背景にはニシンの回遊コースの変化が関係してい

る。』『ニシンの保存加工技術と優れた輸送手段を確立したために栄え拡大したハンザ。』

など本書では様々な出来事と魚の関係を紹介しています。私の知っている世界史も魚

に注目してみると全く別のストーリーのように感じました。

本書の 7章では古い時代の魚のレシピを紹介しています。中世の食生活を実際に体

験できるのでぜひ本書を読み、料理を作って見ることをおすすめします。

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(いとゆう)

『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』
朝日新聞出版 香山リカ

Twitter、Facebook、LINE、、、。便利になり続けるソーシャルメディア。私は、SNS依存症だ。常にLINEとFacebookは確認し続け、一人でも誰かと繋がっていないと不安になる。友達と遊んでいるとき、珍しいものや美味しい食べ物があればその場で写真を撮り、その場でUPする。私のバイト先は名古屋名物の居酒屋なのだが、料理を出した途端、お客さんの手からは出てくるのだ。箸ではなく、スマホのカメラモードが。
ご飯を食べていてもスマホ。寝るときも枕元にスマホ。一人でいる時にスマホは欠かせないものになってしまった。何か変な感じ。だからジュンク堂で、新書を探している時この本とばっちり目が合ったのだ。

この本は、この変な感じの社会の流れから一度立ちどまり、自分の生活を顧みる時間を与えてくれた。刺激的なタイトルであるが、ただただ気持ち悪い。と非難しているだけではなく、なぜそうなるのかという理由や背景に著者なりの読み解きがされていた。

「感動した」「いいね!」が感染症のように広がる社会。感動した、というコメントが続けばそれが正解となる。それ以外のコメントは非難の対象。文章はどんどん圧縮して短くなり、さらには言葉ではなくスタンプで画像でやり取りをする。「飲酒運転なう」に過剰な道徳精神をもち、炎上させる人たち。そんな現象があちこちで出てきている。ソーシャルメディアあるあるから一歩引いた視点で述べられているので、新鮮であった。
ソーシャルメディアは、コミュニケーションツールなのではなく、むしろコミュニケーションを阻害しているのではないか。そう思う一冊である。

古川案

(相変わらず、のりこ、いとゆうだけ出版年がない。次回なかったら単位出さない。)

 

Twitter、Facebook、LINE、、、。便利になり続けるソーシャルメディア。私は、SNS依存症だ。常にLINEとFacebookは確認し続け、一人でも誰かと繋がっていないと不安になる。友達と遊んでいるとき、珍しいものや美味しい食べ物があればその場で写真を撮り、その場でUPする。私のバイト先は名古屋名物の居酒屋なのだが、料理を出した途端、お客さんの手からは出てくるのだ。箸ではなく、スマホのカメラモードが。(私の話から、他人の話に不自然に変わった。書くなら例えばこんなニュアンスで→これは私だけだと思っていたらそうではない。お客さんもそうらしい。つまり世の中多くの人がそうなっているのではないか。)
ご飯を食べていてもスマホ。寝るときも枕元にスマホ。一人でいる時にスマホは欠かせないものになってしまった。何か変な感じ (ここまでの内容だと、変に感じるのは第三者で、「私」は変だと感じていないように読み取れる。「変な感じ」と書いていることに変な感じがした。つまり、依存症の人はそれを感じていないことが多いのではないかと思う)。だからジュンク堂で、新書を探している時この本とばっちり目が合ったのだ。

この本は、この変な感じの社会の流れから一度立ちどまり、自分の生活を顧みる時間を与えてくれた。刺激的なタイトルであるが、ただただ気持ち悪い。と非難しているだけではなく、なぜそうなるのかという理由や背景に著者なりの読み解きがされていた。

「感動した」「いいね!」が感染症のように広がる社会。感動した、というコメントが続けばそれが正解となる。それ以外のコメントは非難の対象。文章はどんどん圧縮して短くなり、さらには言葉ではなくスタンプや画像でやり取りをする。「飲酒運転なう」に過剰な道徳精神をもち、炎上させる人たち。そんな現象があちこちで出てきている。ソーシャルメディアあるあるではなく、丁寧な分析からの解釈が述べられているので、説得力があった。
ソーシャルメディアはコミュニケーションツールなのではなく、むしろコミュニケーションを阻害しているのではないか。そう思う一冊である。

 

『デジタルは人間を奪うのか』(辻法子)

『デジタルは人間を奪うのか』小川和也

講談社

 

パソコンやスマートフォンなど私たちは常にデジタル機器に囲まれて生活をしている。このデジタル機器たちは、人間が自らの生活をより便利で豊かなものにするために生まれた。しかしこのデジタルという波が私たちの日常を大きく変えようとしている。その波に飲み込まれないために、私たちはどのように行動すべきかを本書は述べている。

自動で走る車、デジタルの波を説明する上でとてもいい例である。これは人間が運転操作を加えずに自動車自らが様々な判断を行い自動で走行するというものである。勝手に運転してくれることは一見するととても便利な機能だが、同時に人間の基本的な機能がマシンにとって代わられてしまったことに気づく。人間に基本的な機能とは自らが考え、判断することである。自動で走る車を生み出したが故に、人間は考えるという機能を捨て去ろうとしているのである。

フランスの哲学者であり数学者であるブレーズ・パスカルは「人間は考える葦である」という言葉を残している。この言葉は人間は葦のようにひ弱なものであるが、思考することは人間の尊厳そのものだということを意味している。デジタル化は決して悪いことではないが、デジタルという便利なものに寄りかかることは決して許してならない。デジタルに寄りかかり思考を辞めた時点で、私たちは人間としての尊厳を失うのである。

人間の尊厳を失わない方法でのデジタルとの共存が今後も求められていく。

 

古川案

(相変わらず、のりこ、いとゆうだけ出版年がない。次回なかったら単位出さない。)

 

・流れが良く読みやすい。つまり、全ての文が、前の文を受け展開されている。

・しかしまとめはつまらない。

 

パソコンやスマートフォンなど私たちは常にデジタル機器に囲まれて生活をしている。このデジタル機器たちは、人間が自らの生活をより便利で豊かなものにするために生まれた。しかしこのデジタルという波が私たちの日常を大きく変えようとしている。その波に飲み込まれないために、私たちはどのように行動すべきかを本書は述べている。

自動で走る車、デジタルの波を説明する上でとてもいい例である。これは人間が運転操作を加えずに自動車自らが様々な判断を行い自動で走行するというものである。勝手に運転してくれることは一見するととても便利な機能だが、同時に人間の基本的な機能がマシンにとって代わられてしまったことに気づく。人間に基本的な機能とは自らが考え、判断することである。自動で走る車を生み出したが故に、人間は考えるという機能を捨て去ろうとしているのである。

フランスの哲学者であり数学者であるブレーズ・パスカルは「人間は考える葦である」という言葉を残している。この言葉は、人間は葦のようにひ弱なものであるが、思考することは人間の尊厳そのものだということを意味している。デジタル化は決して悪いことではないが、デジタルという便利なものに寄りかかることは決して許してはならない。デジタルに寄りかかり思考を辞めた時点で、私たちは人間としての尊厳を失うのである。

人間の尊厳を失わない方法でのデジタルとの共存が今後も求められていく。

 

 

ファッションのチカラ(はるか)

ファッションのチカラ

ちくまぷりまー新書 2007 今井啓子

 

戦後の日本では自分の着たい衣服を着ることができるようになりました。現代の日本では個性豊かなファッションに身を包んだ人々を見ることができます。時代とともに流行も変化しその度にあらたなファッションが生まれています。著書は時代の変化とともに変わる流行の変化を、著者の人生を軸に書かれています。

日本のファッションが大きく変化したのは第二次世界大戦終戦と言われています。戦前も戦争中も庶民が鮮やかな色の衣服をみにつけることはありませんでした。しかし、戦後は海外のファッションや映画を参考に様々な色、形、素材の衣服が誕生しました。

そして俗にいう「ハイブランド」と呼ばれる海外ブランドの商品が日本に登場したのもこの頃です。1953年日本にクリスチャン・ディオールが来日しました。彼のファッションショーが東京で開催され、女性たちの『装う』ことへの欲望を盛り上げ、「ディオール旋風」と呼ばれました。この頃ファッション界はパリのオークチュールの黄金期と呼ばれるくらい、フランスが発端のブランドが盛り上げていました。

女性にとってファッションとは生活であり、安らぎであり、戦闘服でもあります。ファッションについて興味がある女性にぜひ読んでいただきたい一冊です。

 

古川案

 

・なぜ、「そして俗にいう」で段落を分けた? ・1段落目には、著者の人生が軸と書いてある。ということは、著者の話が出てくるのかな、と思う。しかし出てこない。→読者の期待を悪い意味で裏切るのは良くない。 ・1段落目には女性と言うキーワードはないが、いつの間にか「女性」が主題になっている。途中で話をすり替えるのはよくない。書いた後読み返して、首尾一貫しているか厳しくチェックすること。  戦後の日本では自分の着たい衣服を着ることができるようになりました。現代の日本では個性豊かなファッションに身を包んだ人々を見ることができます。時代とともに流行も変化しその度にあらたなファッションが生まれています。著書は時代の変化とともに変わる流行の変化を、著者の人生を軸に書かれています。  日本のファッションが大きく変化したのは第二次世界大戦終戦と言われています。戦前も戦争中も庶民が鮮やかな色の衣服をみにつけることはありませんでした。しかし、戦後は海外のファッションや映画を参考に様々な色、形、素材の衣服が誕生しました。そして俗にいう「ハイブランド」と呼ばれる海外ブランドの商品が日本に登場したのもこの頃です。1953年日本にクリスチャン・ディオールが来日しました。彼のファッションショーが東京で開催され、女性たちの『装う』ことへの欲望を盛り上げ、「ディオール旋風」と呼ばれました。この頃ファッション界はパリのオークチュールの黄金期と呼ばれるくらい、フランスが発端のブランドが盛り上げていました。  女性にとってファッションとは生活であり、安らぎであり、戦闘服でもあります。ファッションについて興味がある女性にぜひ読んでいただきたい一冊です。

 

じつは怖い外食 サラリーマンランチ・ファミリー外食に潜む25の危険(よし)

じつは怖い外食 サラリーマンランチ・ファミリー外食に潜む25の危険

南清貴 著

ワニブックスPLUS新書 2014

今年の7月、マクドナルドが消費期限切れのチキンナゲットを販売していたと、新聞や

ニュースに大きく取り上げられていたことを皆さんは覚えているだろうか。マクド

ナルドが好きな私としては大変驚いた出来事だった。そこで私は、外食にはどうい

った危険性があるかかと興味を持ちこの本を手に取った。

著者である南清貴氏は栄養学を深く学んだ方であり、レストランも経営されてい

る。そんな方が自分の体験した話や友人から聞いた話をまとめたものがこの本

である。

本書の内容としては外食の問題を25章に分け紹介されている。偽装加工食品や

食品添加物、中国産やアメリカ産など問題は様々だ。これは薄利多売をこなしていか

なければならない外食チェーン店の原価削減の結果である。全てを読み終えて私

が怖い思ったことは、どの問題も私たちの身近な問題であるということだ。ファミ

レスで売られている飲料水や回転ずしのネタ、ステーキチェーン店のお肉などいま

まで平然と私が口にしたものが危険なものとして紹介されているのだ。

本書は自分の食生活を改めて考えさせられる作品であり、外食の問題を知ってお

いて損はないので一度読んで頂きたい。しかし、本書をこれから読む方に一つ言って

おきたいのは、本書に書かれていることのすべてを鵜吞みにしてはいけない、というこ

とだ。本書に書かれている外食店は確かに存在するかもしれないが、全ての店があ

てはまるわけではない。外食が好きな私としてはそうでなければ辛いし悲しい。

 

 

古川案

・読みやすい ・最後の「全ての店があてはまるわけではない」と考える理由が必要。例えば、本書にはこう書かれているが、実際はこうであり、筆者の認識は間違っているように思われる。だから、全てを鵜呑みにすることはできないが、、、とか。 今年の7月、マクドナルドが消費期限切れのチキンナゲットを販売していたと、新聞やニュースに大きく取り上げられていたことを皆さんは覚えているだろうか。マクドナルドが好きな私としては大変驚いた出来事だった。そこで私は、外食にはどういった危険性があるのかと興味を持ちこの本を手に取った。著者である南清貴氏は栄養学を深く学んだ方であり、レストランも経営されている。そんな方が自分の体験した話や友人から聞いた話をまとめたものがこの本である。  本書の内容としては外食の問題を25章に分け紹介されている。偽装加工食品や食品添加物、中国産やアメリカ産など問題は様々だ。これは薄利多売をこなしていかなければならない外食チェーン店の原価削減の結果である。全てを読み終えて私が怖い思ったことは、どの問題も私たちの身近な問題であるということだ。ファミレスで売られている飲料水や回転ずしのネタ、ステーキチェーン店のお肉などいままで平然と私が口にしたものが危険なものとして紹介されているのだ。  本書は自分の食生活を改めて考えさせられる作品であり、外食の問題を知っておいて損はないので一度読んで頂きたい。しかし、本書をこれから読む方に一つ言っておきたいのは、本書に書かれていることのすべてを鵜吞みにしてはいけない、ということだ。本書に書かれている外食店は確かに存在するかもしれないが、全ての店があてはまるわけではない。外食が好きな私としてはそうでなければ辛いし悲しい。

言いづらいことの伝え方(こーじ)

「言いづらいことの伝え方」
本間正人 著
日経文庫 2014年

私が思うに、現代の社会においてコミュニケーションという能力は非常に重要視されている。本屋に行けば無数の指南書や参考書が所狭しと置かれているからだ。私たちはこれらが必要になるまでにコミュニケーションの取り方に悩んでいるのだろう。

相手に何かを伝えるとき、例えば「これはペンですよ」という単純な事実関係を述べるだけなら何も迷わないし困らない。悩みの原因となるのは「言いづらいことをどう伝えるか」なのではないだろうか。人の気持ちというデリケートな要素が絡む場合にコミュニケーションは一気に難しくなるのだ。目上の人に反対意見を伝えたいとき、ミスの経過を報告しなければいけないとき、部下に謝らないといけないとき等、誰しもに起こりうる事態に備えて社会人やこれから社会人になる人に読んでもらいたい。

古川案

・言いづらいこと、の説明しかない。著者の主張などは一切無い。 ・本屋に所狭しとおかれている参考書の一冊の紹介、という印象しか抱かせない。 ・この本の特徴やウリはなんだろうか。

私が思うに、現代の社会においてコミュニケーションという能力は非常に重要視されている。本屋に行けば無数の指南書や参考書が所狭しと置かれているからだ。私たちはこれらが必要になるまでにコミュニケーションの取り方に悩んでいるのだろう。 相手に何かを伝えるとき、例えば「これはペンですよ」という単純な事実関係を述べるだけなら何も迷わないし困らない。悩みの原因となるのは「言いづらいことをどう伝えるか」ではないだろうか。人の気持ちというデリケートな要素が絡む場合にコミュニケーションは一気に難しくなるのだ。目上の人に反対意見を伝えたいとき、ミスの経過を報告しなければいけないとき、部下に謝らないといけないとき等、誰しもに起こりうる事態に備えて社会人やこれから社会人になる人に読んでもらいたい。