負けない (ゆき)

「負けない」

 

勢古浩爾 著

ちくまプリマー新書2006年

 

 

自分に負けないために自分にできることは何かとか、何をすれば挫けないかとか、そういった内容を予想するしながらこの本を読みました。最も気に入りたのは第三章の自分に負けないです。

自分に感情の起伏は必要以上にすることはないし、基本的になかなか自分が思ってるようには物事はすすまないので他力の状況を受け入れ、諦めることになってしまいます。しかしその時々で自分ができることを精一杯し、その結果がどうであっても自分には後悔しないことです。それは運や不運もあるかもしれないが、そもそも挑戦することがなければどんな結果もないということです。ですから、どんな環境においても自分に負けてはいけません。
「勝ち」「負け」でなく、「負けない」に止揚ます。といっても、高尚な哲学というより、普通の人でも手が届きそうな人生哲学、処世訓なのであるが、心に余裕を失いそうな時によく効くクスリになります。流されないこと、挫けないこと、本当に大切にしたいこと、そんなことがこの著者独特の語り口で語られている。難解なことが書いてあるわけではないけれど、実践するのは難しいこと。いま生きているだけでも儲けものだという、忘れがちな事実を思い出させてくれる本ですので、この本をおすすめです。

 

古川案

(全体的に内容がわからない。また、「負けてはいけません」ではじまって、「生きているだけでも儲けもの」というのは矛盾している。主張は最初から最後まで突き通さなければならない。)  自分に負けないために自分にできることは何かとか、何をすれば挫けないかとか、そういった内容を予想しながらこの本を読みました。最も気に入ったのは第三章の自分に負けないです。  (この段落は、自分の意見か、本書の主張かわからない。また書いてある内容も意味を読み取りにくい。→)自分に感情の起伏は必要以上にすることはないし、基本的になかなか自分が思っているようには物事はすすまないので他力の状況を受け入れ、諦めることになってしまいます。しかしその時々で自分ができることを精一杯し、その結果がどうであっても自分には後悔しないことです。それは運や不運もあるかもしれないが、そもそも挑戦することがなければどんな結果もないということです。ですから、どんな環境においても自分に負けてはいけません。  「勝ち」「負け」でなく、「負けない」に止揚ます(←意味がわからない)。といっても、高尚な哲学というより、普通の人でも手が届きそうな人生哲学、処世訓なのであるが、心に余裕を失いそうな時によく効くクスリになります。流されないこと、挫けないこと、本当に大切にしたいこと、そんなことがこの著者独特の語り口で語られている。難解なことが書いてあるわけではないけれど、実践するのは難しいこと。いま生きているだけでも儲けものだという、忘れがちな事実を思い出させてくれる本ですので、この本をおすすめです。

文系?理系?(ゆきちゃん)

「文系?理系?」
志村 史生 著
ちくまプリマー新書2009年
“私は文系なので、理系は苦手です”このような言葉はよく耳にしませんか。確かに世の中の人は一般に「文科系の人」と「理科系の人」に分類されるようです。しかし、理系だ文系だとの分類は受験のためのものであり、どんなものにも興味を示し、理解するような勉強をするべきだ。そういった知識の吸収には書籍が最適であり、今の映像やインターネットでは想像力を養えないと著者が主張されています。
この本を読んだ私はまさに同感です。成績だけで自分は文系か理系を決め付けてしまうと、自分は文系だから理系はあまり関係ない、興味ないと自認してしまいます。だが、本を読むことを苦行のように感じている人もいるようですが、一冊を読み終える喜び、そこでなんとなく賢くなったと感じさせてくれる充実感、それらの積み重ねで自分自身の成長を感じる嬉しさを知ると、文系だとか理系だとかいう壁を超えて読書が楽しくなるはずです。

 

古川案

“私は文系なので、理系は苦手です”このような言葉はよく耳にしませんか。多くの人は「文

系の人」と「理系の人」に分類することが好きなようです。しかし、理系、文系の分類は受験

のためであり、それよりも、どんなものにも興味を示し、理解するような勉強をするべきです。

そういった知識の吸収には書籍が最適であり、今の映像やインターネットでは想像力を養えな

いと著者が主張されています。

この本を読んだ私はまさに同感でした。成績だけで自分は文系か理系かを決め付けてしま

うと、自分は文系だから理系にはあまり関係がないと自認してしまいます。(←→「だが」とい

う逆接はおかしい。逆になっていない。)だが、本を読むことを苦行のように感じている人もい

るようですが(←同じ文に、「だが」、「ですが」と逆接を重ねない。)、一冊を読み終える喜

び、そこでなんとなく賢くなったと感じさせてくれる充実感、それらの積み重ねで自分自身の成

長を感じる嬉しさを知ると、文系だとか理系だとかいう壁を超えて読書が楽しくなるはずで

す。

(1段落目と2段落目の繋がりがわからない。普通は、1段落目をうけて、2段落目では、なぜ映

像ではダメなのか?ということが書かれているのが自然。)

日本の7大商社(ゆき)

「日本の7大商社」(ゆき)

久保巌 著

平凡社新書  2012年

日本の7大商社

日常生活の中では三井、三菱、住友などの名前はよく耳する。タイトルから商社という日本独自の企業形態に大きな興味を抱き、この本を開いて読み始めた。
世界に類をみないビジネスモデルのの日本の7大商社とは財閥系の三菱商事、三井物産、住友商事と非財閥系の伊藤忠商事、九紅、双日、豊田通商のことを言っている。
一番好奇心があるところは、スタッフ組織と人事制度の章に「商社はヒトなり、いわば、商社はヒトが最大の資産・財産であり、人材が全て、と言っても過言ではない」と書いてあり、ヒトって、会社経営のヒト・モノ・金のヒトのことを最も重要な存在と認識したことが分かった。例を挙げてみると、三菱商事の人事制度の特徴は「キャリアバンド」を基準に職責区分」考え方を取り入れていることにある。
確かにこの本は日本の7大商社についての歴史やビジネスの書籍だが、内容は普通のニュースや日経新聞に載っている情報と同じ感じなので、目新しい情報が得られないと思うが、就活生にとっては各商社の情報を知ることができるかもしれない。

古川案
「日本の7大商社」(ゆき)
久保巌 著
平凡社新書 2012年
日本の7大商社
日常生活において三井、三菱、住友などの名前をよく耳する。日本独自の企業形態である商社に興味を抱き、この本を開いた。
世界に類をみないビジネスモデルである日本の7大商社とは、財閥系の三菱商事、三井物産、住友商事、と非財閥系の伊藤忠商事、九紅、双日、豊田通商である。
最も興味深かったのは、スタッフ組織と人事制度の章に、「商社はヒトなり、いわば、商社はヒトが最大の資産・財産であり、人材が全て、と言っても過言ではない」と書かれていた。つまり、会社経営のヒト・モノ・金の中でも、ヒトを最も重要な要素に位置づけていたのだ。例を挙げてみると、三菱商事の人事制度の特徴は「キャリアバンド」を基準に職責区分」の考え方を取り入れていることにある。
確かにこの本は日本の7大商社についての歴史やビジネスの書籍だが、内容は普通のニュースや日経新聞に載っている情報と同じなので、目新しい情報が得られないと思うが、就活生にとっては各商社の情報を知ることができるかもしれない。

日本人の作法(ゆき)

 

「日本人の作法」

陶智子 著

平凡社新書2010年文章

 なぜこの本を読もうと思ったのかのは、タイトルを見て目次までも開いて、「あーこの本なら、もっと日本人の文化を知ることできるかも」と頭の中に浮ったから、読んでみた。

 現代は日本人が長い歳月をかけて受け継いできたものが、大きくゆらぎ、失われつつあるといわれる。そのひとつが「作法」であろう。作法とは、人を慮る「心」を表現する「かた」。時を経て「かた」が変わっても、変わらない「心」がある。時を経っても変わらない「心」と「かた」もある。しかし、日本人はその大切なものを失われてしまってたとしても、気が付かないまま快適な生活を追い求めて暮らしている。この本は、そういう背景をもって世に訴える本である。

 例えば、箸の使い方言えば、意外に自分の国と似たようなところが多かった。よくバイト先の友達と一緒に焼肉に行くが、お箸で食べるときに一人に「みんなの箸の持ち方って本当にひどいね」と言われた。つまり四人の中でその人しか箸の持ち方が正しくないことだ。そのほかの三人は箸の持ち方なんてどうでもいいじゃないという結論があった。確かにその時の私もそう思った。だが、そのままだと箸の持ち方は正しく後代に教えられなくて、その貴重な文化はいつの間にかみんなに捨てられしまう。

 現在ではスマートフォンの時代であり、レストランなどでの食事中でも携帯電話をテーブルの上に置いている人も多い。中には食べながらメールをする人もいる。一緒に食事をしている人がいるのに、楽しい時間を共有できなくなるだろう。これこそ、人づきあいの作法に反する例である。自分では友達と食事するときになるべく携帯を触らないように。

 実はそういう現状になっているのは日本だけではなく、中国も同じだ。席の座り方、箸の持ち方、人と人の付き合い方などの文化を守っていない。確かに時代がどんどん変わっていくといっても、自分の民族を示す文化は時を経っても変わらないものである。

 日本人が長い歳月をかけて受け継いできたものが失われないため、日本人が元々持っている文化を知るため、ぜひこの本を読んでいただきたい。

 古川案

日本人の文化を語る上で外せないのが「作法」である。作法とは、周囲のことを思う「心」を表現する「かた」のことである。作法は、日本人が長い歳月をかけて受け継いできたのだが、現代ではそれが失われつつあるという。日本人はそれに気が付かないまま快適な生活を追い求めて暮らしている。本書では、そんな状況を世に訴えている。

例えば、箸の持ち方にも作法がある。私の持ち方は正しくないが、それでも構わないと思っていた。しかし本書を読んでから考えると、それでは箸の持ち方の作法は後生に受け継がれず、その貴重な文化は失われてしまう。また、レストランなどで食事中でも携帯電話をテーブルの上に置いている人も多い。中には食べながらメールをする人もいる。一緒に食事をしている人がいるのに、楽しい時間を共有できなくなるだろう。これこそ、人づきあいの作法に反する例である。

このような現状は中国も同じだ。席の座り方、箸の持ち方、人と人の付き合い方などの文化を守っていない。確かに時代が変わっても、自分の民族を示す文化は時を経っても変わらないものである。

日本人が長い歳月をかけて受け継いできたものが失われないため、日本人が元々持っている文化を知るため、ぜひこの本を読んでいただきたい。

 

タバコ狩り(ゆき)

「タバコ狩り」

室井 尚  著

平凡社新書2009年文章

 コンビニのアルバイトを始まってから、日本のタバコってそんなに種類があることに驚きました。もちろんその中に日本タバコだけではなくて、外国のタバコもあります。この本を読もうと思ったのは、つい最近私がとても尊敬している先輩がタバコを吸うことを始めて知り、コンビニにタバコを買いにくる女性お客さんも結構いて、バイト先の友達たちのなかでもタバコを吸っている女性は何人もいるからです。

 この本の著者は喫煙者であるので、もちろん自分の立場で自白しているのではないでしょうか。そして、本に書いて内容によると「全面禁煙の電車をおりてから、どこかで一本吸いたいと思っても、駅の構内も禁煙、その周辺も路面禁煙にされ、喫煙所はどこにも見つからない。」という苦情を言っています。それにしても、喫煙者たちは一生懸命喫煙所を探し、公園とか、コンビニの前とかで吸っている人がよく見えます。ただ、著者の主張は被害者の意識ばかりが前面にでていて、加害者意識が弱いと感じます。喫煙者たちの嗜好の自由を保障することも非喫煙者の嗜好の自由も同時に保障されなければならないと思います。

 最近では70年代のような禁煙運動はないですが、今年の4月から消費税5パーセントから8パーセントに増加するので、JT(日本たばこ産業)のタバコは全部上がっていくのは事実です。これからたばこを吸う人って減っていくかもしれません。

↓古川案

 私はタバコを吸いません。なので、タバコに関する知識は全くありません。私がコンビニのアルバイトを始めて、タバコの種類の多さにびっくりしたほどです、この本を手に取ったきっかけは、思ったよりタバコが身近にあったからです。というのも、私が尊敬している先輩がタバコを吸うことを最近になって知ったり、コンビニにタバコを買いにくる女性のお客さんも結構いたり、バイト先の同僚にもタバコを吸っている女性が何人もいたからです。

 喫煙者の著者は言っています。「電車をおりてタバコを吸いたいと思っても、もちろん駅の構内も禁煙、路上も禁煙、喫煙所も見つからないのです。」喫煙者たちは、全力で喫煙所を探し、公園やコンビニの前でタバコを吸うのです。著者はこう主張します。被害者の意識ばかりが前面にでていて、加害者の意識が弱いのではないか。喫煙者たちの嗜好の自由を保障することも非喫煙者の嗜好の自由も同時に保障されなければならないのではないか。

 最近では70年代のような禁煙運動はないですが、今年4月からの増税に伴い、JT(日本たばこ産業)のタバコ価格は上昇します。今後、喫煙者はさらに減少するのでしょう。

中学受験(ゆきちゃん)

「中学受験」
横田 増生 著
岩波新書2013年文書

この本を読んで日本人の小学生の子供を持つ親にとって、中学受験は大きな問題だと思います。子どもの将来のために公立の中学に進学させるか、あるいは、私立の中高一貫校に進学させるかどっちの方が子どものためになるか決めなければならないのは親の責任です。
中国人留学生としての私は、中学校に進学時は中学受験ではなくて、普通に実家から一番近い中学校に進学しました。周りの人を見て、日本人の小学生のように中学受験のために予備校や塾に通う人はあまりいなかったです。それに、予備校や塾もそんなに多くないし、子どもの勉強のために何とかしなきゃと思う親は家庭教師を雇うことの方が普通です。一方で、日本はこんなに予備校や塾が存在するのは、むしろ中学受験の小学生の親たちの要望に応えて、次々と新しい塾がでてきます。
最初あまり知らない私立中高一貫教育ですが、調べたことによって中高一貫教育の最大の特徴は6年後の大学受験に向け、長期的な視野に立ち、余裕を持って学習に臨めることです。実は例えてみれば目的地に一気にたどり着ける高速道路のようなもので、そのコースに乗れば、いい大学に行ける確率が高くなりますし、また、それが就職にとっても好条件になるというイメージがあります。
しかし、一見よさそうに見える中学受験は、親に大きな負担を強います。一つは経済的負担、もう一つは、親の精神的、肉体的負担です。ちなみに6年間の経済的負担は、学費で505万円強、プラス塾代と家庭教師代ということになります。家庭の出費からみるとかなりデカいです。そして、中学受験は、当然のことながら、ほとんどの受験生に対しても大きな精神的、肉体的な負担を強います。
そうまでして、入学した私立中高一貫校は、果たして夢の楽園なのでしょうか?校内暴力、いじめなどはないと言われていますが、しかし、これらの事は、公立学校と同じように起こっていますそれに、生徒のリストラ問題。
この本を読んで日本の教育制度に興味を持つようになりました。
↓古川案
日本において、中学受験はとても大きなイベントだと思った。子どもの将来のため、公立中学、あるいは私立の中高一貫校に進学させるかの選択は、親にとって重大な責任です。

中国人留学生の私は、中学進学時には受験はなく、家から最も近い中学校に進学しました。周りを見ても、日本のように中学受験の予備校や塾に通う人は少なかったです。そもそも予備校や塾はそれほどなく、受験による進学を目指す場合は、家庭教師を雇うことが普通です。日本でこれほど予備校や塾が存在するのは、中学受験を目指す親たちの需要と考えることができます。

私立中高一貫教育の最大の特徴は、6年後の大学受験に向け、長期的な視野に立ち、余裕を持って学習に臨めることです。目的地に一気にたどり着ける高速道路のようなもので、そのコースに乗れば、いい大学に行ける確率が高くなり、さらにはそれが就職にも有利になるというイメージがあります。

しかし、一見よさそうに見える中学受験は、親に大きな負担を強います。一つは経済的負担、もう一つは、精神的、肉体的負担です。6年間の学費は平均505万円、さらに塾代と家庭教師代まで必要です。家庭の出費からすると非常に大きいです。そして当然のことながら、受験生に対しても大きな精神的、肉体的な負担を強います。

そうまでして入学した私立中高一貫校は、果たして夢の楽園なのでしょうか?校内暴力、いじめなどはないと言われていますが、公立学校と同じように起こっています。さらに問題になるのが生徒のリストラ問題。

この本を読んで日本の教育制度に興味を持つようになりました。