『デジタルは人間を奪うのか』(辻法子)

『デジタルは人間を奪うのか』小川和也

講談社

 

パソコンやスマートフォンなど私たちは常にデジタル機器に囲まれて生活をしている。このデジタル機器たちは、人間が自らの生活をより便利で豊かなものにするために生まれた。しかしこのデジタルという波が私たちの日常を大きく変えようとしている。その波に飲み込まれないために、私たちはどのように行動すべきかを本書は述べている。

自動で走る車、デジタルの波を説明する上でとてもいい例である。これは人間が運転操作を加えずに自動車自らが様々な判断を行い自動で走行するというものである。勝手に運転してくれることは一見するととても便利な機能だが、同時に人間の基本的な機能がマシンにとって代わられてしまったことに気づく。人間に基本的な機能とは自らが考え、判断することである。自動で走る車を生み出したが故に、人間は考えるという機能を捨て去ろうとしているのである。

フランスの哲学者であり数学者であるブレーズ・パスカルは「人間は考える葦である」という言葉を残している。この言葉は人間は葦のようにひ弱なものであるが、思考することは人間の尊厳そのものだということを意味している。デジタル化は決して悪いことではないが、デジタルという便利なものに寄りかかることは決して許してならない。デジタルに寄りかかり思考を辞めた時点で、私たちは人間としての尊厳を失うのである。

人間の尊厳を失わない方法でのデジタルとの共存が今後も求められていく。

 

古川案

(相変わらず、のりこ、いとゆうだけ出版年がない。次回なかったら単位出さない。)

 

・流れが良く読みやすい。つまり、全ての文が、前の文を受け展開されている。

・しかしまとめはつまらない。

 

パソコンやスマートフォンなど私たちは常にデジタル機器に囲まれて生活をしている。このデジタル機器たちは、人間が自らの生活をより便利で豊かなものにするために生まれた。しかしこのデジタルという波が私たちの日常を大きく変えようとしている。その波に飲み込まれないために、私たちはどのように行動すべきかを本書は述べている。

自動で走る車、デジタルの波を説明する上でとてもいい例である。これは人間が運転操作を加えずに自動車自らが様々な判断を行い自動で走行するというものである。勝手に運転してくれることは一見するととても便利な機能だが、同時に人間の基本的な機能がマシンにとって代わられてしまったことに気づく。人間に基本的な機能とは自らが考え、判断することである。自動で走る車を生み出したが故に、人間は考えるという機能を捨て去ろうとしているのである。

フランスの哲学者であり数学者であるブレーズ・パスカルは「人間は考える葦である」という言葉を残している。この言葉は、人間は葦のようにひ弱なものであるが、思考することは人間の尊厳そのものだということを意味している。デジタル化は決して悪いことではないが、デジタルという便利なものに寄りかかることは決して許してはならない。デジタルに寄りかかり思考を辞めた時点で、私たちは人間としての尊厳を失うのである。

人間の尊厳を失わない方法でのデジタルとの共存が今後も求められていく。

 

 

コメントを残す